【川崎市】「川崎大空襲記録展」開催!戦争体験者が語った川崎区と中原区の空襲の実態

【川崎市】「川崎大空襲記録展」開催!戦争体験者が語った川崎区と中原区の空襲の実態

【川崎市】「川崎大空襲記録展」開催!戦争体験者が語った川崎区と中原区の空襲の実態

 3月10日で東京大空襲から79年目を迎えた日、神奈川県川崎市の川崎市平和館で、川崎大空襲のあった4月15日を中心に前後1ヶ月にわたって令和5年度「川崎大空襲記録展」が開催される。オープニングイベントでは、戦争体験者たちが記憶を頼りに語り合うと、川崎区と中原区では被害に違いがあることが明らかになった。

 川崎市平和館では、広く市民に戦争の悲惨さを伝えるとともに平和に対する理解を深めることを目的に、川崎大空襲のあった4月15日を中心に前後1ヶ月にわたり、毎年この時期に「川崎大空襲記録展」として、川崎大空襲の記録及び「空襲」に関する展示を行っている。

 「川崎大空襲」は、1945(昭和20)年4月15日午後10時3分に、空襲警報が発令され、ほとんど同時に爆撃が始まった。市平和館によると、この日の攻撃目標は、川崎市や東京南部で、米軍の記録によれば川崎市等に対して、B29爆撃機が194機が来襲し、焼夷弾1万2748発(1072トン)、高性能爆弾162発(18トン)、破砕性爆弾98発(20トン)が投下された。

 この爆撃によって、川崎市の中心部は市役所を残して一面焼け野原となった。大空襲の被害は、家屋の全半焼壊家屋3万3361戸、工場等の全半焼壊は287件。罹災者は10万人を超えている。度重なる空襲による市内の死者約10000人、負傷者約1万5000人の大半が、この大空襲によるとされている。

 今年の川崎大空襲展は、悲惨な被害をもたらした川崎大空襲の解説とともに、戦時下の市民生活にスポットを当てた展示をする。また、米軍の空襲の計画・実行・効果検証の資料を初展示するとともに、神奈川県内の空襲についても紹介している。

【川崎市】「川崎大空襲記録展」開催!戦争体験者が語った川崎区と中原区の空襲の実態
左:富士見公園付近 右:京浜川崎駅付近の焼け跡

 【川崎大空襲の体験者のお話】
 中原区在住で元住吉に生まれ育った吉田さんによると、6歳の小学校1年生の時に大空襲に遭ったそうで、B29が飛んでくると、けたたましい空襲警報が鳴り響き、「B29ノ自が見えるぐらい低空で3機も4機も5機も連なって飛んでくるんです。しかも、(航空機のような)真っ白い機体ではなく、グレイのような色で恐ろしかったです。外で遊んでいて、空襲警報が鳴ると、一目散に家に全力で走って帰り、また、全力で畑の中に掘った防空壕に逃げ込むんです」と、ウクライナやガザでのニュースで見る光景が79年前の日本で現実に起きていたと、生々しく語った。
川崎大空襲の時は、元住吉の方は焼夷弾落ちなくて、大きな火災はなかったそうだが、綱島街道の方が真っ赤に染まっていたという。「どんどん人がリックサックを背負って、家の前の道路から井田山の方ら向かっていく。つられて逃げると井田山がか真っ赤に燃えていて、死んじゃうんじゃないかと怖くなった」と、体験を生々しく語った。

 その後、同年代の大空襲体験者の方々数名が語って記憶をたどり、川崎の被害状況を一部、明らかにしていった。それによると、元住吉は東京に比べて爆撃の数は少なかったそうで、その方が書物などで調べたところによると、アメリカ軍は東横線沿線について、多摩川から横浜の方はあえてセーブしていたという。その理由は、富士通、NEC、東中空港など、最先端の会社があった。アメリカは戦後を睨みながら使いどころがあるところは残しておいて、同じ川崎市でも川崎区や多摩川、羽田あたりは、昔から大きな会社がいっぱいあったためにひどくやられていたが、元住吉はあまり落ちなかったという。
いまの川崎駅の中心部は川崎市役所本庁舎の時計塔が焼け野原にポツンと奇跡的屋残っている写真が印象的なことからもよくわかる。

【川崎市】「川崎大空襲記録展」開催!戦争体験者が語った川崎区と中原区の空襲の実態
左:東海道線鉄橋方面をみる 右:市役所付近の焼け跡と焼け残った市役所の時計塔(現在の平和通り)

 また、井田山の方が燃えているとお話の中で出てきたが、ある方が、この川崎市平和館だろうと語っていた。というのも、戦時中、「東京航空計器」という軍需工場があり、その軍需工場が真っ赤に燃えていたという。

 なお、「東京航空計器」は終戦後、米軍に接収され、その後1975年に日本に返還されている。その後、中原平和公園となり、その敷地内に川崎市が1992(平成4)年に「川崎市平和館」を開設した。

 オープニングイベントでは、川崎大空襲を体験された方のお話を聞き、市内の中学生が平和学習の成果を発表。
 1 川崎大空襲記録展 ~戦時下の市民生活と川崎大空襲~
 (1)期 間 令和6年3月10日(日)~5月6日(月) 9時から17時まで
 (月曜日と第3火曜日は閉館。ただし4月29日・5月6日は開館、4月30日は閉館)
 (2)場 所 川崎市平和館(川崎市中原区木月住吉町33-1)屋内広場 ※入場無料
 (3)内 容 平和館所蔵の空襲関連パネル、公文書館の所蔵品、明治大学平和教育登戸研究所資料館の所蔵品、世田谷区立平和資料館の所蔵品などを展示。
 2 オープニングイベント
 (1)日時 令和6年3月10日(日) 13時30分から14時50分まで
 (2)場 所川崎市平和館(川崎市中原区木月住吉町33-1)屋内広場 ※参加費無料、申込不要
 (3)内 容
 ア「戦争体験を語る・聞く」
 川崎大空襲の体験者のお話。
 イ「親子平和推進事業」
 市立東橘中学校(川崎市高津区)の生徒が平和学習の成果を発表します。

 ※なお、記事中に掲載している展示パネルの写真は、館長の許可の元、撮影・掲載しております。

【川崎市】「川崎大空襲記録展」開催!戦争体験者が語った川崎区と中原区の空襲の実態
チラシに使われている写真は、六郷橋付近から第一京浜国道方面を見る【川崎市平和館所】

 

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戦争体験を語る
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オープニングイベント


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