男子プロバスケットボールリーグ(B リーグ)の2025-26シーズン開幕に向けて、『川崎ブレイブサンダース』の川崎渉社長、北卓也 GM、ネノ・ギンズブルグHC、篠山竜青選手の4名が、9月7日神奈川県川崎市・川崎市役所本庁舎内に福田紀彦川崎市長を表敬訪問した。
また、同日には「かわさきスポーツパートナー」である『川崎ブレイブサンダース』2025-26 シーズン出陣式を市役所広場で開催した。
取材・撮影:伊藤直樹©ニュースラウンジ/エッジライン
トップ写真は、旧市長室で撮影。左から『川崎ブレイブサンダース』川崎渉社長、福田紀彦川崎市長、篠山竜青選手、ネノ・ギンズブルグHC、北卓也GM
川崎渉社長

「ブレイブサンダースとしては初めてなんですけど、出陣式を川崎市さんと共催という形でこの市役所広場で開催させていただけると本当にありがたく思いますし、やっぱり、川崎を代表するクラブとして、川崎の名所じゃないですけれども、皆さんが思い浮かぶ場所でシーズンのスタートを切れるって本当に嬉しく思ってます。昨シーズンはかなり苦しんだシーズンでしたけれども、今シーズン、その悔しさを晴らすためにしっかりと積み上げていきたいと思います。また、いろいろ市とも連携をしながら、トップチームがバスケをする以外にも、川崎市の子供たちのためにいろんなことができないかっていうところで、またクラブとしてはチャレンジしていく年になるかなと思っていますので、いろいろと紆余曲折、おそらくシーズン中またあるとは思うんですけれども、しっかり川崎の皆さんのために頑張っていきたいと思ってますので、何かとよろしくお願いします。
北卓也GM

「新しい選手も7名加入していただいて、去年は悔しい思いしましたが、確実にまずはチャンピオンシップを目指して昨シーズンよりステップアップします。チームは答えてくれると思いますので、ぜひぜひ期待してほしいですし、ご支援いただきますよう、またよろしくお願いします」
ネノ・ギンズブルグHC

「こうやって市長と直接話せるっていうのは世界的にもあまりないと思うので光栄です。僕自身川崎がすごく好きですし、川崎のファミリーだったり、一員として川崎を代表できるっていうことを誇りに思っています。いいシーンにしていきたいなっていう風に思います」
篠山竜青選手

「もう市長訪問も数えきれないほどさせていただいています。ありがとうございます。Bリーグは今年10シーズン目を迎えます。1年目からプレイさせていただいて、いろんなところでいろんな変化を感じながら戦ってきました。来期からはB.LEAGUE PREMIER(Bリーグプレミアム)ということで、また少しバスケットの勢いをつけるために色々な変化をもたらしていくところなんですけれども、この10周目という節目にリーグの中でもしっかりと存在感をまた発揮できるように、そして川崎の街の皆さんからも川崎ブレイプサンダースが強いというイメージを取り戻せるように頑張っていきますので、今後もご支援、ご支援よろしくお願いします。今日はありがとうございます」
福田紀彦市長

「まず、市役所前広場を出陣式で使っていただけるというのは本当に嬉しいです。こういうことをなんかすごく望んでました。正直、市役所に初めて来る人は結構多いと思うんですよ。そういう意味でも、これが自分たちの街の役所なのかということを初めて知っていただけるって感じもありますし、ブレイブサンダースさんたちと共にやっぱり川崎ってよかったなっていう“市民プライド”を掻き立てるような、そういう空気感ってすごく大事だと思ってるので、まずそこに感謝したいと思います。
川崎社長からもありましたように、コートの中だけじゃない、やっぱりいろんな新規の貢献っていうのも思います。本当に年を経るごとに、やっぱりこう厚みを増しているということなので、非常に、クラブというよりもクラブなんですけど、ちょっとほんとにパートナーだなっていうこと、とても強く感じています。嬉しいことに、(ネノ・ギンズブルグHC)コーチが無事帰ってきていただいたことが、すごく嬉しいですし、昨シーズン厳しい戦いだと思いますが、ぜひ、今シーズンはフルスロットルで頑張っていただきたいという思っております。
篠山さんの「すごいチームという風な印象を取り戻したい」という風な、なんかそこの言葉っていうのは、なんか本当に、篠山さんの言葉っていつもなんか刺さる言葉なんですけど、今日も本当そうだなって、そこにすごく期待をしていますし、強いブレイブサンダースというところに期待しています。よろしくお願いいたします」
このあと、土曜日で市庁舎内に人があまりいないということもあってか、旧市長室をみんなで見に行き歓談することに…。
戦後80年ということもあり、川崎の歴史年表をみながら、大正13年(1924年)に人口約5万人でスタートして今は約155万人になったといった話や二次世界大戦、川崎空襲の時には、このあたり一帯焼け野原で、この復元棟が…などと市長が説明していた。







