「ジャンプ」日本代表の“レジェンド”葛西紀明選手(41=土屋ストーン)率いる日本チームのジャンプ陣が、17日(日本時間:18日)に行われた「ジャンプ 男子ラージヒル団体・決勝」で、銅メダルを獲得。団体でのメダル獲得は、16年前の1998年長野オリンピック以来となった。
フラワーセレモニーや世界中の記者・カメラマンからの取材を終え、日本ブースに到着したジャンプ陣。葛西選手は、満身創痍な中、最後までベストなパフォーマンスを発揮してくれた仲間に感謝し、「メダルを獲らせてあげたいと思った」と、涙ながらに語った。
葛西紀明選手(41=土屋ストーン)は、「ありがとうございます。(団体でのメダルは)うれしいです。もう、みんな頑張ったんで(涙)、(清水)礼留飛も悔しい思いしてきて、団体メンバーに選ばれてよかったと思いますし、(竹内)択も病気で、それなのに選ばれて、一緒に団体出れたことうれしく思ってますし、(伊東)大貴も膝痛めて、そんな中でみんな4人で、力合わせてメダル獲れたことが本当にうれしいし、獲らせてあげたいと思ったいたのでよかったです」と、涙を流しながら、語った。
伊東選手は、オリンピック直前のW杯で両膝の痛みを感じたため、ノーマルヒルを欠場していた。竹内選手は、1月に肺の病気で入院(試合後の会見で、難病の「チャーグ・ストラウス症候群」であることを自ら公表)し、一時は体重が4キロ落ちたほどで、2人とも万全の体調とはいえない状況。清水選手は、2013-14シーズンW杯で序盤に成績が振るわず、年末年始のスキージャンプ週間のメンバーから外れた。しかし、国内大会で好成績を収めてソチオリンピックの日本代表に選出された。
伊東大貴選手(28=雪印メグミルク)は、「いやあやっぱりなんとか、銅メダルだったんですけど、なんとかメダルだけは獲りたいと思ったんで、あとはぼくらも精一杯頑張れたと思うし、最後、ノリさん(葛西)がシッカリ決めてくれたんで後輩たちと先輩に感謝したいと思います」と、仲間に感謝した。
伊東選手は2回目のジャンプ後に、足を引きずって、1人では立っていられない状態だった。また、フラワーセレモニーでは、葛西選手に支えられながら表彰台まで歩いた。
「最後ね、膝がよくがんばってくれましたね」と、インタビュアーから声をかけられると、「はい。本当に痛かったです。終わるまで痛いって言いたくなかったから。つらかったけど、最後までもってよかったです」と、涙声で語る。
さらに、「ラージ(ヒル)の時に(膝の状態を聞いた時)は、『問題ない』って言ってましたね」と、問われると、「自分にいいきかせてやってました」と、絞りだすように言う。
竹内択選手(26=北野建設)は、「僕も入院したときにオリンピックを一度、あきらめかけたというか、もしかして出られないんじゃないかなと思った瞬間もあったんですけど、ずっと小さい頃からの夢だったんで、なんとかして自分の身体を戻して、みんなでメダル取りたいという気持ちで、ここまでやってこれました。でも、今日は本当に、メダルを取らしてもらったなという感じが強いです」と、気丈に語る。
「(不利な追い風と)条件が良くないようにみえましたけど、よく粘りましたね、今日も」と、問われると、「今できる精一杯のジャンプだったなと思います」と、語った。
メンバーの中で最年少でトップバッターを務めた清水礼留飛選手(20=雪印メグミルク)は、「ものすごく緊張しましたし、本当に先輩たちの頑張りのおかげで取れたメダルだと思います。(2本とも大ジャンプでしたが?)いやあ、今できるいいジャンプができたと思いますし、ものすごくいい経験になったオリンピックでした」と、トップバッターの感想も含めて爽やかに答える。
初めてのオリンピックでメダリストになったがと問われると、「僕の力じゃなくて、本当に先輩たちがここまで苦労してがんばって、くれたおかげで獲れたメダルだと思っているので、先輩たちに感謝したいです。(あと6回出なきゃいけないですね?)葛西さんに追い付くにはそれくらいがんばらなきゃいけないと思いますけど、7回というのはすごいなと実感しますし、まだまだ一生懸命頑張ろうかなと思います」と、笑顔も交えながら語った。
個人の銀メダルの時には、「6大会ぶんの重さがある」と語っていたが、「明日受けるメダルはどんな重さでしょうか」と、問われた葛西選手は、「もうメダルの色は関係なく、4人みんなで力合わせて獲れたというのがうれしいので早くまた明日、みんなでメダル獲って、首にかけたいと思います。(良いメンバーでしたねと、問われ、)そうですね。ワールドカップから一緒に回ってきていて、メダル獲れるかどうかっていう厳しい世界のレベルの中、みんなひとりひとりがいいジャンプして頑張ったおかげなんじゃないかと」と、あらためて仲間に感謝した。