NO IMAGE

倉田保昭 盟友ブルース・リー幼少期のヌンチャクに疑問!全盛期は「全く隙がなかった」

倉田保昭 盟友ブルース・リー幼少期のヌンチャクに疑問!全盛期は「全く隙がなかった」
ブルース・リーとともに撮影した写真を手にする倉田保昭

 “和製ドラゴン”の異名を取るアクション俳優・倉田保昭(67)が13日、都内で『李小龍 マイブラザー』(監督:ロバート・リー/配給:アンプラグド)公開初日イベントに登場した。

 没後40年となるブルース・リーの知られざる幼少時代から青年時代が描かれた作品。若手時代に俳優として活動するも、私生活では反抗的な性格が災いしてストリート・ファイトに明け暮れる日々。喧嘩は得意だが恋愛は苦手。長身の美女パールに惹かれるものの、彼の親友のクォンがパールに好意を持っていることを知り悩んだりする姿など、実弟ロバート・リーの目から見たリーのーソナルに迫った物語となる。

 倉田は1971年、香港ショーブラザーズ社『悪客』で香港映画デビューし、その後も、香港映画界のスターに。リーとは親交もあるためゲストとなった。

倉田保昭 盟友ブルース・リー幼少期のヌンチャクに疑問!全盛期は「全く隙がなかった」
貴重なオフショット写真も

 当時の香港映画の現場について、倉田は「日本で恵まれないちょっとした俳優でしたから、こんなに全盛の映画があるのかなと。浦島太郎が現代に来たような気分でした。当時は香港も貧困で知ったから、一部屋に3段4段ベットに10人くらいの家族で住んでいて。映画が一番のご楽でした。そんな中、ブルース・リーが彗星のごとく出てきた。時代が合っていたんだ思います。1人がいくらヒーローであっても、時代があってないと逆流しちゃうから」と、しみじみと語り出すことに。

倉田保昭 盟友ブルース・リー幼少期のヌンチャクに疑問!全盛期は「全く隙がなかった」
ポスター

 リーの『ドラゴンへの道』もローマで見学していたという倉田は、「実生活はド近眼でハードコンタクトを探しているブルース・リーもいた」と、ちょっとした秘話を明かしつつ、そのチャック・ノリスとの決闘シーンのリーについて、「我々がやっている立ち回りとは違うなと。ブルース・リーは受けがないんでしょね。相手が入ってきたら蹴り、入ってきたら突き。全く隙がなかった。あのころが一番いい状態でしたね。あれが、ブルース・リーの真のキャラクターです」と、真骨頂を語っていた。

 また、実は、倉田からリーに『ドラゴン怒りの鉄拳』で、ヌンチャクをプレゼントしたことで、それ以降使用されることとなったという倉田本人談の逸話があるが、本作では幼少期のリーがヌンチャクを扱うシーンもあり、「この映画でヌンチャク出てくるってことは幼い頃でしょ。早くもなんで出てるの?って」と、疑問もあるそうだが、「でも、映画だからよかったねというのはあります」と、そこは認めている様子も。

倉田保昭 盟友ブルース・リー幼少期のヌンチャクに疑問!全盛期は「全く隙がなかった」
倉田保昭

 ほかにも、香港で当時は悪役を演じると石をぶつけられることもあるくらい、大衆娯楽として熱狂的人気を誇っていたそうだが、倉田は、「私も悪役でしたけど、石をぶつけられたことはなかった。言葉分からないけど笑ってましたね」と、笑いながらエピソードを披露していた。

 最後に倉田は「香港では、今でも銅像が作られるほど、ブルース・リーの人気は全く消えてないです。日本はジャッキー・チェンの方が人気ありますね。でも、ブルース・リーが原点なんです。日本も、彼のことを忘れないでほしい。それが私からの願いです」と、思いを語り、トークショーは終了となった。

 本作は13日より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー!

倉田保昭 盟友ブルース・リー幼少期のヌンチャクに疑問!全盛期は「全く隙がなかった」

広告