世界的なファッションデザイナー・山本寛斎氏(69)が東京・六本木のブルーシアターで29日、30日の2日間、ファッションとエンターテインメントを融合させたショー『HELLO JAPAN!! Produced by KANSAI YAMAMOTO』を行った。
公演には、韓国人歌手のJUNO(26)がモデルとして登場。世界的ダンサー森山開次の圧倒的パフォーマンスで魅了。ガイアを吹く近藤等則のトランペットの咆哮、世界トップクラスのカンフーとファッションが激しく交錯し、山本寛斎が発信する国籍や文化、言語を超えて人間の五感に訴える圧倒的なエネルギーを放った。
同ファッションショーは、2012年9月、北京にて開催された日中国交正常化40周年記念事業「HELLO CHINA!!」。中国を魅了した寛斎の“婆娑羅”が、更なるパワーアップを果たし、東京にて再演決定。
1971年、『KANSAI IN LONDON』で発表された凧絵のドレス、デビット・ボウイが1973年のツアーで着用した伝説の衣装『TOKYO POP』、ジョン・レノンが愛用したスカジャンなど、山本寛斎の原点ともいえる70年代の作品と新作コレクション。
40年以上の歴史が詰まった作品のテーマについて、寛斎氏は、「人間の持つ元気をテーマにしました。これが能力の限界という枠を持っていますが、やってみたら、もっともっとできるんじゃないかなぁと。私たちは感じるし、実行するしということをやらねばならない。難くいうと、テーマは人間讃歌」と明かした。
ステージを終えた感想を寛斎氏は、「久々にエンジン全開でこっちもやったし、その分の反応をたくさんちょうだいしたというのが身体の印象です。仕事はじめまして40年ちょっとですが、いまが、ひとつのステージが終わって、次なるステージに入る最初のステップかなと思っております。これからは、さらに世界的に大暴れをします」と、熱く語った。
森山は、「踊りやっているんですけど、身体一つでいろんなことを表現出来ますけど、(衣装を)纏うことでエネルギーもらって、さらに、いろんなエネルギーに変えていくというのが服をまとう魅力で、寛斎さんの洋服を着るとパワーが漲ってまいりますし、着れたことを嬉しく思います。1973年のツアーでデビット・ボウイが着た服を着させていただいたのは光栄なことです。寛斎さんの情熱あふれる服と、アーティストが袖を通し変化した服を今日、着れることが嬉しかったです」と、感激していた。
近藤は、「日本の文化は身体の文化。西洋が頭の文化だとすると。身体にキモチイイコトしていれば生きていて幸せだと。寛斎さんはその象徴だと思います」。
ショーの最後に“女神”となったモデルの菅原萌香がまだ14歳の中学2年生で、4月から3年生だと、寛斎氏から紹介されると、報道陣からも驚きの声が上がった。「最初、女神という役をもらった時に不安、緊張しかなかったんですけど、衣装など全体的に楽しめました」と、初々しく感想を。
寛斎氏は、「うちの一番上の孫と同じ年ですので、感慨もひとしお。親と子で頑張ったはよくありますが、孫の世代とまで、こっちも長生きしていくぞという気分。萌香さんがウエディングを着れる頃まで、自分が衣装をデザインできるまで頑張り続けてやろうと思ってます」と、目標を語った。
JUNOは、「韓国人なんですけど、寛斎さんのショーを見た時に、韓国人の代表になって、参加して(寛斎さんの服を)着たいなと思ったので、参加できて嬉しいです。これから世界のみなさんが寛斎さんの力をもらってほしいです。寛斎さんが(ショーの前は)『あまり寝れなくて、ずっと仕事する』と聴いた。僕は、まだまだ若いと思うので、頑張らなければと思いました」と寛斎氏からパワーをもらった。
また、異母弟で俳優の伊勢谷友介(36)と女優・長澤まさみ(25)の熱愛報道について聞かれると、「皆さまが期待される内容は知りませんし、お相手もあまり存じ上げていませんが、この辺が本命なんじゃないかな?って思ってますよ」と推測。2人が結婚まで至ったら、ウェディングドレスをデザインしたい?と問われると、「彼はものすごく独立心が強いから、寛斎を頼らずに生きていこうというのが見受けられます」と、笑っていた。
最後に寛斎氏は、「昨日、日本の大使から『日本の話題が世界のニュースに乗らない。寛斎さんなんとかしてよ』と言われました。ひょっとしたら、私たちの活動が経済のほうに偏り過ぎているんじゃないかなぁと。人間の幸せの何番目かが経済で、もっと先にあるのが、理屈になってない熱いもの、楽しいもの、面白いものをもっと高めていく。先輩としてやらねばならないのかなぁと思っております。どこの国の人々だろうと、メンタリティーがどうのというのではなく、熱いもの同士がワーワー作っていける先端にいたいなぁと思っております」と、抱負を語った。