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中村福助 勘三郎さんに瞳潤ませ「太陽みたいな人。本当に優しい役者さんだった」

中村福助 勘三郎さんに「太陽みたいな人。本当に優しい役者さんだった」
勘三郎さんへの思いを語った中村福助

 歌舞伎俳優・中村福助(52)が13日、都内で来年2月から東京・日生劇場で上演される『二月大歌舞伎』製作発表会見で、今月5日に急性呼吸窮迫症候群のため歌舞伎俳優・中村勘三郎さん(享年57)への思いを明かした。

 会見中に福助は、「襲名20年で記念の年になりました。勘三郎兄さんは、(転落事故に遭った)染五郎さんの体調を心配されていました。2月公演にも天国から力を貸してくれるので、みなさんにお目にかけたい」と、気合を入れ直す。

 「兄さんを悔しがらせたいという思いはあって新しい新作歌舞伎をやってみたいというのは思っていました。いろいろなものを吸収して歌舞伎にしてしまうという精神といいますか、そういうものを受け継いで大事にやっていければと思っています」と、亡き勘三郎さんの遺志を継いでいくことを誓っていた。

 会見終了後にも取材陣に応対した福助は、「コクーン歌舞伎をしたときに、ファッション見ていたり、奇抜ではなくアイデアをいっぱい持っていた人だった」と、振り返る。「兄さんは好きなお芝居ができなくなってしまったということが一番自分が悔しいと思うんです。復帰することを信じてたから。11月に入ってからは病状は重くなってしまいましたが、兄さんなら何とかしそうな気がしてたし、災害が起こったって生き残りそうな人だったんです」。

 さらに、福助は「今の年齢じゃかわいそうだよ。こっちでやりたいこともいっぱいあっただろうに」と、瞳を潤ませる。そして、「役者が中心となってしまいがちですけれど、スタッフから立ち回りをする1人1人まで、ファンも新聞記者の方も大事にしていた」といい、病床にある中でも、「こんな状態になってるけど、世間の人はなんと言ってるって、聞いていたそうです」と、人を愛し抜いていた勘三郎さんらしいエピソードを語った。

 「傾くことが好きだった。僕らも最後はもう駄目だと分かってた。でも、斎場で『うそぴょん』ってやってくれると本当に思っていたんです。あまりにも思い出が多すぎてうまくお話できないんです。とにかく太陽みたいな人でした。本当に優しい役者さんだった」と、声を落とした。

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