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デヴィ夫人、「アクト・オブ・キリング」に夫の汚名が晴れたと感謝!クーデター時のサバイバル状況を明かす

デヴィ夫人、「アクト・オブ・キリング」に夫の汚名が晴れたと感謝!クーデター時のサバイバル状況を明かす
「夫のスカルノ大統領の汚名が晴れた」と感謝したデヴィ夫人

 元インドネシア大統領第3夫人のデヴィ・スカルノ(74、通称:デヴィ夫人)が25日、都内で行われた映画『アクト・オブ・キリング』(監督:ジョシュア・オッペンハイマー/配給:トランスフォーマー)の特別試写会前舞台あいさつにオッペンハイマー監督とともに登壇した。

 本作は、デヴィ夫人の夫である故スカルノ元インドネシア大統領が失脚する原因となり、夫人自身も当事者として命の危機と直面しながら、亡命するきっかけとなった1965年の軍事クーデター「9.30事件」から、その後の“赤狩り”と称して起こる100万人とも200万人ともいわれる大虐殺を描いたドキュメンタリー。本年度アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされたほか、ベルリン国際映画祭観客賞など全世界60以上の映画賞を受賞している。

 (政府にも地方自治体のトップにも、虐殺を行った“殺人者”の息子や親戚がたくさんいるため)現インドネシア政府は、「虐殺の事実」を認めていない。そのため当局から被害者への接触を禁止されたオッペンハイマー監督は、「それなら加害者側に取材してくれ」という声に押され、視点を変更。

 いまも“英雄”として優雅に暮らしている「虐殺」を行った“殺人者”たちへ接触を開始。映画製作という名目で過去の虐殺行為を本人たちに再現させるという前代未聞のアプローチで、当時、何があったのかを浮き彫りにしていく。始めは、“英雄”として誇らしげに殺人シーンを演じ語っていた実行者たちだったが、次第に心境の変化が・・・。

デヴィ夫人、「アクト・オブ・キリング」に夫の汚名が晴れたと感謝!クーデター時のサバイバル状況を明かす

 「9.30事件」とは、インドネシア建国の父であるスカルノ初代大統領だった1965年9月30日深夜、首都ジャカルタにおいて、大統領親衛隊の中佐率いる部隊が、「陸軍の高級将校6名が政権転覆のクーデターを準備していた」として殺害。

 陸軍を指揮下に置いた戦略予備軍司令官スハルト少将(のちの第2代スハルト大統領)が、首都の要所を制圧。運動に呼応した共産党傘下の共産主義青年団(プムダラヤット)や共産主義婦人運動(ゲルワニ)も排除し、10月2日には混乱に終止符を打ったという共産党によるクーデター未遂事件。

デヴィ夫人、「アクト・オブ・キリング」に夫の汚名が晴れたと感謝!クーデター時のサバイバル状況を明かす
デヴィ夫人(左)に感謝するオッペンハイマー監督(右)

 その後、スカルノ大統領から「治安秩序回復」に必要な全ての権限を与えられたスハルト主導の元、クーデター首謀者や事件に関与したとして共産主義者、100万人とも200万人とも言われる残虐な大虐殺が、1965年10月から1966年3月ごろまでスマトラ、ジャワ、バリで続いていたと見られる。

 この「共産主義者狩り」の実行部隊として大きな役割を果たしたのが、今回の映画に登場する“英雄”たちの青年団、イスラーム団体、ならず者集団であった。

 さらにスハルトは、こうした市民団体を動員し、事件について、共産党と親密だったスカルノの責任を追及する街頭示威行動を取らせるなど圧力をかけ、1966年3月11日、スカルノはスハルトに大統領権限を委譲する命令書にサインして、インドネシアの政変劇は終幕した。

 しかし、そもそも9.30にクーデターが準備されていたのか、そこに共産党が関与していたのかといった検証もされていない。当時のインドネシア国内外の情勢から陰謀説や黒幕説、スカルノ大統領を失脚させたこと自体が本当のクーデターだったのではないかなど、いろいろな説がささやかれる中、陸軍とスハルト側の一方的な言い分だけが伝えられてきた。また、65年~66年にかけて行われた「大虐殺」の詳細もいまだにハッキリわかっていない。

 オッペンハイマー監督は、「本当に今宵デヴィ夫人にこの場所に立っていただいていることは名誉なことで感動しております。独立したインドネシア建国の父であるスカルノ大統領の奥様であり、65年の『9.30事件』~66年にかけて行われた大虐殺を家族とともに経験しているサバイバーだとも思っている」と、敬意を払った。

 この日、インドネシアの正装で登場したデヴィ夫人は、娘から「ママ観て」と、勧められて映画を見たという夫人は、「初めは何なのかしらと、不思議に思っていました。段々と引き込まれ、(真実は)こうだったんだと分かりました。昨日のことのように(事件が)甦ってきました。虐殺が事実だと分かって、何十年間も汚名を着せられていたスカルノ大統領の汚名が晴れた」と、感謝した。

デヴィ夫人、「アクト・オブ・キリング」に夫の汚名が晴れたと感謝!クーデター時のサバイバル状況を明かす
インドネシアの「9.30事件」について語る2人

 謎に包まれた「事件」の直近にいた“生き証人”であり、“生き残り”であるデヴィ夫人は、当時はジャカルタ内の宮殿にいたそうだが、スカルノとは一緒じゃなかったという。「恐怖ですよ。いつ、誰に襲われるかわからない緊迫した時間で2週間ぐらい睡眠もなかった。川の中に何分隠れていられるか、走ってどれくらいで庭を突っ切れるかなどを考えながら、毎晩ズボンをはいて寝ていた。護衛官もいつ裏切るか分からないし、味方なのかスパイなのかも分からない。人間って睡眠取れないと赤い斑点ができるんですよ。何も食べない、眠らなくてもこれだけ生きられるんだと知った」と、壮絶な体験を明かした。

 当時、アメリカも日本もスハルトを支援し資金援助もしていたそうで、スカルノもこういう状況を作った悪者と喧伝されていたため、「大使館に逃げ込むと、ご迷惑がかかると思った。高価なものをお預けしましたら、当時の大使の方が私が預けたものを庭に放り出したんです。それを料理人夫妻が拾って私に届けに来てくれた」と、大使館すら味方ではなかったという。

 スカルノ大統領は幽閉され、家族と会えない状態だったため、使者を使って手紙でやり取りしていたという。また、共産党幹部たちは逃げる以外ない状態で、「全員捕まって虐殺されています。共産党員、親スカルノ派だけじゃなく、何にも関係な借金している人も遊びで殺していた。全身に針金を巻かれ、それを引っ張られて亡くなった」と、映画でも描かれている残忍な虐殺方法にも言及すると、劇場には悲鳴が!

 国際的にも衝撃を与えた同映画だが、肝心の「インドネシアでの上映は可能なのだろうか?」と問われたオッペンハイマー監督は、「劇場公開は通常の形ではできない。正式に出すと検閲に引っかかり、観たものが違法になる。理由を与えてしまう。個別の試写を何千、何百と行っております。また、Youtubeで無料公開しており、350万回を記録しました。非公式な形で公開しています。過去との向き合い方が全然変わった。虐殺であったと言えるようになった」と、状況変化を語った。

 最後に監督は、「『映画を楽しんで』とは言えないけど、笑いたいと思ったら大いに笑って観てください。映画を見たインドネシアの人たちも、感動しながら笑っていた。作品に込めたユーモアは意図的なもの。笑いは人が生き延びるためのもの、人をいやすためのものだから。魔法のような時間を過ごしてほしい」と、客席に語りかけた。

映画『アクト・オブ・キリング』は4月12日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

 

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デヴィ夫人
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ジョシュア・オッペンハイマー監督


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