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“江戸っ子エース”土橋正幸さん死去 ノムさん「寂しいかぎり」

 東映(現日本ハム)で投手として活躍し、ヤクルトや日本ハムで監督を務めた土橋正幸さんが24日午後10時56分、筋萎縮性側索硬化症のため、都内の病院で亡くなった。77歳だった。

 筋萎縮性側索硬化症とは、手足、喉、舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がやせて力がなくなっていく病気で、ルー・ゲーリック(ヤンキース)も患った難病。解説者として最後にCS放送の『プロ野球ニュース』に出演したのは昨年末で、一人で歩くことも困難だったという。妻の泰枝さん(72)によると、土橋さんは亡くなる2日前まで自宅のテレビで野球観戦を欠かさず、「マー君はすごいな~」と、楽天の田中将大投手の連勝に目を細めていたそうだが、24日午後5時頃容体が急変し、救急車で都内病院に搬送され、泰枝さんや娘、孫らに看取られて亡くなった。

 27日付の日刊スポーツ、スポーツニッポン、デイリースポーツ、スポーツ報知、サンケイスポーツ、東京中日スポーツ各紙が報じており、土橋さんは日本橋高卒業後、家業の鮮魚店を手伝いながら、地元の軟式チームなどでプレー。硬式野球の経験がないまま1954年秋に入団テストを経て投手として東映入りし、62年に日本シリーズでMVPとなり、東映の日本一に貢献するなど通算162勝を挙げ、“江戸っ子エース”としてファンに親しまれた。

 当時、南海の選手として土橋さんと対戦した野村克也氏(78)は、「江戸っ子でせっかちで“ちぎっては投げ”の投球スタイルは、田舎育ちでのんびりしていた私とは正反対だった。打席で次の球を読んで打つ自分のペースで打てず、タイムを要求したこともあったほどで、相性がよくなかった。また同学年の選手がいなくなって寂しいかぎりだ」と、故人を偲んだ。

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