(テレビ東京『日向坂で会いましょう』の番組公式ホームページ(https://www.tv-tokyo.co.jp/hinatazaka/)トップ画面より)
6月28日に東京国際フォーラムで行われた日向坂46卒業セレモニー『渡邉美穂 卒業セレモニー』で、アイドルグループ『日向坂46』を卒業した渡邉美穂(22)がグループの冠番組の『日向坂で会いましょう』(テレビ東京、毎週日曜日深夜1時05分~)の最後の収録が7月3日に放送された。
番組最後の出演ということで、スタジオに布団を敷き、MCのオードリーの2人と日向坂46メンバーがパジャマ姿で出演。
ラストの企画は、【ミホ・ワタナベのラストダンスに華を添えろ!ひなあいでやり残した事を全部やっちまおうSP】と題し、『ひらがな推し』(2018年4月1日~)~『日向坂で会いましょう』で、渡邉からやり残したことをアンケート。それをもとに企画したコーナーがあり、最後に『オードリー』の若林正恭(43)と春日俊彰(43)と渡邉の3人になったスタジオ。春日が卒業証書を読み上げ、渡邉に授与した。
卒業証書
渡邊美穂殿
埼玉が生んだ怒涛の起爆剤ことミホ・ワタナベくん。我々の出会いはおよそ4年前。バスケ対決で私が渡邉くんを泣かせてしまうという不穏なスタートでしたが、そこからビジネスライバルとして、仲良くケンカしてきましたね。
「春日事件」が起こった際は強めにイジられ、「対決」となれば、闘志むき出しで挑んできて、「無茶ぶり演技力企画」では、キッカケ台詞をなかなか言わないという私のボケのせいで、ひな壇で高校球児のように号泣していましたね。
あの時はすいませんでした!
収録前のあま~い対応から、本番が始まればプロの目に激変し、そのアドリブ力やユーモアのセンスで、いつも存在感を発揮してくれました。感謝しかございません。
さらに、渡邉くんが生んだ「〇ヤ」は、高瀬くんの「盛ってるで」と並ぶ、番組から生まれた2大パワーワードだと思います。
どんな企画でも手を抜かず、全力で取り組み、笑いに昇華させるパワー!次のステージでも絶対に役に立つと思います。これからも持ち前の負けず嫌い精神を忘れず、何事にもくらいつき、新たな坂道を駆け上がってください。
けやき坂46、そして、日向坂46として活動した(約)5年間をここに称します。
令和4年7月3日
日向坂で会いましょう一同
春日は「卒業おめでとう」と一言添えて、渡邉に手渡した。
若林は「渡邉どうですか思い出に残っていることは」と振る
渡邉「春日さんとはフワちゃんさんの事件で申し訳ないことをしたなと」
春日「なんとなくボヤかして言ってくれましたけど」と苦笑い
若林も「語り継がれる伝説だよね」
渡邉「若林さんに関してなんですけど、一回、私がスケ番の格好して若林さんが生徒で(コント?)やったじゃないですか。あの時、絶対、若林さん私のこと本気で好きだったなぁ、あの時!思ってたんですよ。思ってた矢先に結婚発表されたので、もてあそばれた気分になった」というと、スタッフ爆笑
若林も笑いながら「設定のキャラでやってるからね」と。
渡邉美穂から最後に
『ひらがな推し』から『日向坂で会いましょう』まで4年間お世話になりました。本当に、自分は本当にバラエティーがすごい苦手だし、人前でしゃべるとかなんかするというのが本当に怖くて、正直言うと、毎回、このスタジオに来るのも不安だったりしたんですけど、でも、やっぱり、スタジオに来たら、いろんなスタッフさんとか、オードリーさんの顔見たら、今日も頑張ろうとすごい思えて、ファンの皆さんの反応で私も元気をもらえたし、もっともっと頑張って、意欲的に取り組んでみようとここまで、こうやって走ってくることができたなぁと思うので、本当にみなさんには感謝しています。これからも日向坂46を、そして、『日向坂で会いましょう』をよろしくお願いします。
ありがとうございました。
と、時折、いく筋か涙が頬を伝うことはあったが、ここまでは笑顔もあり、明るく来たが、
最後の最後に若林から「言い残したことないですか」と言われると、今まで堪えてきたものが決壊!
渡邉「えー終わりたくないです…やですー」と号泣。
若林は「渡邉が明るく卒業しようということで、俺もヘンなパジャマ着たんだからぁー番組指定ですって言われて」
渡邉「うー…?%&#$▼■〇最後に…ひとついいですか? (新曲『僕なんか』ヒット)キャンペーンで、ご褒美ロケ獲得したんですけど、私いけないんですか?」
若林「行けないみたいです。オンエア日がズレちゃったみたいで、これは完全にヶ―マックスの責任なので、ごめんな渡邉な」
渡邉「たのしんでください」
スタッフの拍手と「おつかれさまでしたー」の声がかかり、本当に収録が終了
しかし、渡邉は「ヤダ!がえりだくない」(マンガやアニメなら、涙で滲んだり、文字形が書けていたり…と、ぐちゃクチャな表現になっているような発音)と、号泣が止まらなかった。