四郎さん(享年84)の葬儀・通夜が28日、東京・築地本願寺でしめやかに営まれ、400人が参列した。
祭壇は昨年3月に亡くなった妻で元女優の月城彰子さんの祭壇を似せて作られ、岩井流の色である紫の桔梗が1000本、白いバラが500本、胡蝶蘭が100本が色彩よく織り交ぜられた。遺影は10年前に舞踊の会で撮影したもの。棺の中には、入院中に禁止さられていた、ショートホープとウィスキーで唇をしめらせ、家族らとの写真5枚が添えられた。
戒名は悟りの境地に立ち、優しかったことから『圓学院慈雲良周居士(えんがくいんじうんりょうしゅうこじ)』。
囲み取材に応じた歌舞伎俳優・中村福助(51)は、「ちょうど(亡くなった)当日に伺わせて頂きました。父と病室が同じで体調不良というのは薄々伺っていました。すごい寂しいです。明るくて、社交家で子供の頃からお世話になって、最後は病をおして舞台に出ていたので、ゆっくり休んで欲しいですね」と、お悔やみ。
俳優・船戸順(73)に支えられるようにして、会見に臨んだ、船戸の妻で半四郎さんの長女の岩井友見(60)は、声を震わせながら、「私の大好きな父、偉大で怖い父が亡くなり、体中の力が抜けていくような気がしています。船戸はそんな私を支えてくれました。14日に『友見ちゃん、帰っちゃうの?バイバイ』と言ったのが、最後に聞いた言葉でした」。友見は、さらに、「あんまり突然だったので、振り返ったらいなくなっちゃったという気持ちです。父の遺志を継いで、岩井流を頑張ってまいりたいと思います」と、気丈に前を向いた。
最後に、半四郎さんの次女で女優・仁科亜季子(58)とその娘で女優・仁科仁美(27)、その息子で俳優・仁科克基(29)が会見。亜希子は、「私が到着する30分前に亡くなりました。そのときはまだまだ温かくて、呼んだら応えてくれそうでした。帰るときは『バイバイ』と言ってくれて、苦しまず逝けたと思います。クリスマスにドラマチックな感じでした。寂しんぼだったんで、みんなの忘れない日に亡くなったのかな」と、振り返る。克基は、「本当に優しいおじいちゃんでした」といえば、仁美も「すごくチャーミングでいつもニコニコしてました」と、涙をぬぐう。
さらに亜希子は、「最後はナースステーションの人気者でした。仏様みたいでした」と、悔やみ、仁美とそっと手をつないでその場を後にした。
ほか、坂東玉三郎(61)、藤村志保(72)、多岐川裕美(60)らが出席した。
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