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福島原発事故最前線で指揮した吉田元所長 食道がんで死去

 2011年3月11日に起きた東日本大震災により発生した東京電力福島第1原発事故の収束作業を現場で指揮した元所長で、東電執行役員の吉田昌郎氏が9日午前11時32分、食道がんのため都内の病院で死去した。58歳だった。

 吉田氏は2011年11月末に食道がんと診断され、所長を退任。昨年7月には脳出血の緊急手術を受け、自宅で療養生活を送っていた。9日午前に容体が急変し都内病院に運ばれたが、そのまま息を引き取った。

 10日付の日刊スポーツ、スポーツニッポン、デイリースポーツ、スポーツ報知、サンケイスポーツ、東京中日スポーツ各紙が報じており、吉田氏は11年3月の福島第1原発の事故発生後、最前線で指揮。結果的に1号機から3号機までの炉心溶融を回避できず、放射性物質の流出を防ぐことができなかったが、状況把握に右往左往する東京の首相官邸や東電本社とやり合うなど、現場所員の信頼も厚かった。

 所長を退任する直前、福島第1原発の事故現場が報道関係者に初公開された際、「事故直後の一週間は死ぬだろうと思ったことが数度あった」と、当時の決死の覚悟を語っていた。

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