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週刊文春元編集長・鈴木洋嗣氏 司馬遼太郎氏の問わず語りに「こういう考え方があるのか」

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 『週刊文春』『文藝春秋』元編集長の鈴木洋嗣氏が6月27日に講談社内で新刊『文藝春秋と政権構想』(7/3発売)を記念した記者会見に登壇。40年にわたる編集者(政治記者)として見聞してきた「秘話」を語った。

 柔和な笑みを浮かべ会見場に姿を見せた鈴木氏。編集者(政治記者)として40年のキャリアを重ね、うち週刊誌は20年弱、『文藝春秋』関連13年。「『週刊文春』に行き月刊誌に行って、また週刊誌に戻りなんてことを繰り返し、43歳で『週刊文春』の編集長になって…」と簡単に経歴を振り返り、「名刺は今もとってあります」と、この間1万5000枚以上の名刺交換をしてきたことを明かした。

 『文藝春秋と政権構想』を執筆するにあたって、「編集者は黒子なので、本来こういう内幕みたいなことを書くのはどうか? ……という思いが強かったです」と、最初は否定的だった。だが、今の雑誌の有り様、コタツ記事、真偽未検証の情報が一気に拡散するSNSの大隆盛をみているうち気が変わったそうだ。「それらも大事な仕事です。一方で、(師と仰ぐ新聞協会賞、大宅壮一ノンフィクション賞と新聞・雑誌双方の最高の賞を受賞した)元日経新聞記者の佐藤正明さんから私が教わった、報道対象となる当事者たちと関わりながら記事を作っていく、いわば“つくるスクープ”ってやり方もあるんです。そんなスタイルがあったことを残してもいいんじゃないか。その現場を若い人たちにも伝えておきたいという気持ちもあって。雑誌屋の記録として、1年前から書き始めました」と、筆をとった。

 書籍内には政治家や官僚の名前・当時の肩書きから、会談の場となった店まで実名で次々と登場してくる。「テレビのドキュメンタリー的な臨場感がなければ、経済政策なんて、とっつきにくいテーマなんで読んで頂けませんから、許す限り雰囲気を再現して書かせて頂きました。編集者時代には、自分が書き手にお願いしていた事柄でもありますし」と、狙いを。

 “つくるスクープ” と“特ダネ”の違いがあるといい、絶対に表に出ないはずの機密情報も、内紛などで組織が緩むと内から漏れ出してくる。それを掴むのがいわゆる“特ダネ”。「“つくるスクープ”というと語弊もあるんですけど、あえてそう言い切りたい。30歳の頃、佐藤記者に「どうしてスクープできるのか?」を質問したんです。そのとき「スクープの99%はリーク。ただし、例外もある」と言われました。【自分が当事者として、例えば企業の経営統合に関わりながら、それを書く。これなら他社には絶対に抜かれない】と聞いたんです。実際、佐藤記者はトヨタとGMの経営統合を仲立ちし、スクープしたんです。そういうやり方があるのかっていう新鮮な驚きがあって。自分には経済では無理だけど 政治だったらできないか、そのとき考えました」と違いを語った。

 さらに“つくるスクープ”は記者・編集者のモラルのギリギリに位置する。だから自身の立ち位置に悩むという。「報道する価値があるか、誌面に掲載する価値があるかっていう、編集者としての重い判断があるんです。安っぽく聞こえちゃうかもしれないけれど、〈これは国のため(公益)になる〉よねっていうところが、まずなければと思います。だから(政治関係者から政策作りを)頼まれても受けなかったこともあります。原稿ができ上がった後にボツということもありました。これを(この政策記事作りを)やっていいのか、載せていいのか自問自答して、それが正しかったかどうかは正直、人(読者)の判断を仰ぐしかない」。

 そんな鈴木氏が常に心の中に置いている言葉がある。それは作家の司馬遼太郎氏のものだ。「1994年ぐらいに、取材が終わった打ち上げの席で問わず語りに語られた株式会社文藝春秋評なんですが、『相手の心の臓を目掛けて手を差し込み、その臓器を抉って高く掲げ、その血のしたたるサマまでしっかりと書くのが文春の仕事だ』と言われた。こういう考え方があるのかって、驚きました。非常に印象的で、こういう姿勢っていいますか、精神で雑誌は作らないと、作らなきゃいけないっていうふうに教えて頂いたと思っています」。と、啓示を受けた日の思い出を披露した。

 会見後半は、記者との自由な質疑応答。『週刊文春』元編集長ということで、同誌がスクープしたダウンタウン・松本人志氏の性行為強要疑惑報道について質問が。

 「これはまったく喋れない(苦笑)。今進行形の話題で、皆さん関心の焦点がそこにあることは非常によく分かる。でも、答えることができないんです。なぜかというと、一つは文藝春秋の伝統として、編集長が全権を持つっていうことは僕が入社してからも言われていて、社長といえども編集権に容喙(ようかい)しない。つまり、実際僕が編集長やってた時も、上から話が来たことなんてないですよ。その分責任もある。その伝統のなかでやっているので。ましてもう外に出た人間が、あの記事はこうだったとか、絶対に言っちゃいけない。それは文藝春秋のいちばん大事なところで、詭弁に聞こえるかもしれないけれど、そうして編集の現場を守ってるから『週刊文春』というメディアもあると思うんです。ごめんなさい。でも(記者なら)聞くよね」と、明言することはなかった。

 「文春砲(スクープ)」で有名な『週刊文春』といえば泣く子も黙るイメージがあるかもしれないが、会見中たびたびチャーミングな笑顔を交え滔々と話し続けた鈴木氏。『文藝春秋』と両誌の編集長を務めた人物は戦後、田中健五、半藤一利、松井清人、木俣正剛、新谷学各氏ら数えるほどしかいない。今後は立ち上げたシンクタンクで「自分一人しかいませんが、知恵を集めて形にするということは編集者ですから特技としています。今後どなたのお手伝いをすることになるのか全く分かりませんが、政策立案のための勉強(会)はいろいろ続けております」と語った。鈴木氏起案の政策がわれわれの生活に何らか変化を与える日も、そう遠い日ではないのかもしれない。

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