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音楽劇「君よ生きて」のキーワード舞鶴港とシベリア抑留!実体験者の木内信夫氏「今日は泣かされた」

音楽劇「君よ生きて」のキーワード舞鶴港とシベリア抑留!実体験者の木内信夫氏「今日は泣かされた」
感極まったて涙を浮かべる抑留体験者の木内信夫さん(90)

 「京都・舞鶴港」を舞台に舞鶴市の全面協力を受け、望月龍平シアターカンパニーが日本戦史の一端を描くRYUHEI MOCHIZUKI THEATRE COMPANY最新作『音楽劇「君よ生きて」』の公開ゲネプロが19日、東京・新宿区サンモールスタジオで行われた。

 舞台となる舞鶴港は、1945(昭和20)年、第二次世界大戦敗戦に伴い、海外諸地域に残された約660万人の軍人・軍属・民間人を速やかに帰国させるための“引き揚げ”港のひとつとして、旧ソ連や朝鮮半島、旧満州(現・遼寧省、吉林省、黒竜江省の3省と、内モンゴル自治区の東部)からの復員や引揚者を迎え入れた。

 その数は、13年間にわたって約66万人の引揚者と1万6269柱の遺骨にのぼる。特に、1950(昭和25)年以降、舞鶴港が日本で唯一の引揚港となったことから、日本人の引き揚げの記憶を象徴する港となった。

 この舞台を作るに当たり、全面協力した舞鶴市は、引揚船が入港するたびに、湾内定期船を借り上げて出迎え、児童や生徒たちが日の丸の小旗を振って歓迎した。婦人会等は、温かい湯茶と炊き出しで出迎え、帰郷への見送り、入院患者の慰問など、母なる国の代表として、献身的な奉仕を行った。そのため、舞鶴市は、「引き揚げのまち」であり「再会・再出発のまち」と言われた。

 引揚船が入港するたびに、平桟橋で母や肉親との再会のドラマが。その一方で、何年経っても未だに帰らぬ、生死不明のわが子や夫を、この引揚船で生きて帰ってくると信じて待つ夫人の姿が、いつしか『岸壁の母』と言われるようになり、歌謡曲((1954年に菊池章子が、1972年に二葉百合子が歌唱し大ヒットした)や映画(1976年に中村玉緒主演)、ドラマ(1977年に市原悦子主演)になって人々の涙を誘った。

音楽劇「君よ生きて」のキーワード舞鶴港とシベリア抑留!実体験者の木内信夫氏「今日は泣かされた」

 特に舞鶴港は、日本海を隔て旧ソ連と隣接する地理的位置にあり、ナホトカ港からの引揚者を数多く迎え入れた。その数は、13年間で約66万人のうち、旧ソ連両からは全体の約7割近くになる約46万人にも達した。

 終戦を迎えてからもなお、抑留生活を送らされた日本兵は、「スコーラ・トウキョウ・ダモイ!(すぐ東京に帰れる)」と言われ、半ばダマされる形でロシア人も恐れた流刑の地に貨車で送り込まれることになる。

音楽劇「君よ生きて」のキーワード舞鶴港とシベリア抑留!実体験者の木内信夫氏「今日は泣かされた」
関東軍(左)とソ連軍(右)が支給した外套。とてもマイナス30度の寒さはしのげない

 冬にはマイナス30度(体感温度はマイナス40度とも)にもなる極寒の地での強制労働。しかも1日のノルマが達せられなければ、ただでさえ、当時、ソ連全域において食糧事情が悪く規定量を口にすることができず、慢性的に飢え状態にあったのに、さらに食料を減らされるという栄養不足状態。部屋の隅にビヤ樽が置かれ、それで小用を足すという衛生状態など劣悪な環境のもと、栄養失調や流行病による死者が続出した。

 まさに、戦争で生き残ったにも関わらず、“第2の戦争”ともいうべき厳しいこの「極寒」「飢餓」「重労働」という三重苦で命を落とした者も数多くいた。あまりにも残酷な生き様を強いられたシベリア抑留生活は、筆舌に尽くしがたく、その極限の状況を生き抜いた抑留者の方々の思い出の品々が、『舞鶴引き揚げ記念館-引き揚げと舞鶴港-』(昭和63年開館)に、全国のシベリア抑留体験者から多くの関連資料が寄贈され、その実態を示す貴重なものとして所蔵・展示されている。

 京都・舞鶴市では、市が運営するこの『舞鶴引揚記念館-引き揚げと舞鶴港-』(館長:山下美晴、所在地:京都府舞鶴市)に収蔵されている『シベリア抑留や引き揚げに関する資料』を引き揚げ開始70年となる平成27(2015)年に国際教育科学文化機関(ユネスコ)の『ユネスコ世界記憶遺産』への登録を目指し申請する事となった。

 資料は1万2000点の中から真正性、世界的な重要性、希少性の高い570点をA・B・Cの3つの区分に分類。A区分には、白樺の皮に缶詰の先とストーブの灰で鉛筆を自作し日記を記した『白樺日記』に代表される、シベリア抑留中の日々の様子や心情を、文章や和歌などの歌でつづった日誌。B区分には映画や歌謡曲で知られる『岸壁の母』のモデルといわれている端野いせさんが、息子が引き揚げて来た時の連絡用に描いて、舞鶴引揚援護局に預けたものなど、安否を気遣い帰還を願う日本の家族に関する資料。C区分には引揚実施関連資料となる昭和30年3月に入港した引揚船『興安丸』の乗船者名簿となる。

 多々見良三市長(63)は、「1年半ほど前に今の館長が、『「世界記憶遺産」というのがありますよ』と、話しまして、ぜひ登録目指して頑張ろうということになりました。いまのままでは、どんどん『舞鶴引揚記念館』に来られる方の人数も減ってきて忘れ去られそうになっている。昔こういう出来事があって、忘れてはならないんだということをメディアのみなさんにしっかりとお伝えして、知っていただくにはもっともいい手法じゃないかという思いからです」と、『世界記憶遺産』への登録に一生懸命になっているという。

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舞鶴市の多々見良三市長

 さらに、「私は、『引き揚げのまち』舞鶴市の市長として、この歴史を恒久的に後世に伝えなければならないという使命感を持っております。引き揚げも戦争も過去のものにしてはいけない。というふうに強く思っておりまして、歴史から学ぶことにより、より良い未来が開けるものと確信しております。そして、舞鶴市長として、今の世代、次の世代、その次の世代にも平和で安心して暮らせることの尊さを、ユネスコ世界記憶遺産に登録することによって、日本、そして全世界に向けて、発信できるのではないか」と、その波及効果にも言及した。

 また、同舞台を観覧されたシベリア抑留の体験者であり、現在、千葉県在住の木内信夫さんは、大正12年11月3日生まれの満90歳。東京赤坂出身で、ウクライナの方に1945(昭和20)年~1948(昭和23)年まで抑留されており、同年7月に舞鶴港へ引き上げてきた。『舞鶴引揚記念館』に体験絵画を寄贈している。

 木内さんは、「今日、見せてもらって泣けた。私はね、今日の(舞台の)ような苦しいことはなかったんです。なかったというより、鈍感で感じなかったかもしれないけど(笑い)。(当時)生まれてもいない人がよくあそこまで演ったと思っています。たったこれだけのイスだったのに、当時の状況が全部見えました。私は痛いこと苦しいことで泣いたことはないんです。帝国軍人だとの思いがあって、男は泣かないと。でも、今日は泣かされた。実際、この(舞台の)通りのことを見てるんですよ。(『舞鶴引揚記念館』に寄贈した体験絵画の)絵では面白いように描いているけど、本当は(この舞台と)同じです」と、声をつまらせ涙混じりになる。

 続けて、当時の兵隊の気持ちへと言及されていく。「もっとも、みなさんが思うほど悲しくはなかったんです。お国のため、家族のために死ねるということが、男と生まれて本望だと思ったから、飛行隊のマークつけて(戦地へ)行ったときは、私、嫁さんもらうより嬉しかった。『行ってきまーす』と笑って行ったんです。だから、みなさんはね、可哀想だというけど、私が言うんだから間違いない。悲しいじゃないです。うれしいんです。お国のために死ねることがうれしかったんです。本人は悲しくないです。そういう教育されて死んでいったとあとで、とても悲しいことだと思った。教育されたというと調子がいいかもしれないけど、6歳の時から洗脳されていたんですよね。『お国のために死ぬのがいいことだ』と洗脳されていたんですね」と、当時の教育に言及する。

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笑いも交えながら、当時の体験や兵隊たちの本音を語る木内さん

 だから、ちっとも苦しくもないし悲しくもなかったと繰り返し、「それは飛行機乗りの私が言うんだから間違いないです。そういう人の気持ちは私と同じだからね。悲しいと思って行ったんじゃないということは、みなさん、覚えておいてください。こんなこという人はいないと思うよ。みんな『悲しい』というかもしれない。だけど、そうじゃないんです。本当にそうじゃないです」と、何度も「悲しくなかった」と強調する。

 しかし、そのあと、一瞬間があって、少し力ない声で、「親の気持ちはわからないですからね、親は悲しかったと思いますよ。女の人は戦争反対と当時は言わなかったけど、母親は、私が行くことが一番悲しかったと思いますよ、今思うとね。戦争が終わってから、たまたま捕虜で(ウクライナに)行って、捕虜になってからでも私は、死ぬつもりで行ったから怖くもなかったし何ともなかったんです。遠いとこ行ったからね、ドイツ、ルーマニア、ハンガリー、チェコの人たちと一緒に作業したから、シベリアのような悲しいことはなかったかもしれない。むしろ、遠足に行ったみたいな気持ちでした」と、当時の心情を語る。

 ただし、「小野田さんと一緒で帰りたくはなかった。帰るということが恥ずかしかったし、いまでも亡くなった方のことを思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいですね。これは私だけじゃないと思う。帰って来た人はみんなそういうふうに言ったと思いますし、帰ったものはそう思いますね」という。

 小野田さんとは、2014年1月に満91歳で逝去された小野田寛郎さんのことで、戦争終結から29年目にしてフィリピン・ルバング島から帰還を果たした。ただし、次の「帰るのが恥ずかしかった」の部分とを考え合わせると、横井庄一さんの方だと思われる。

 横井庄一さん(享年82)は、戦争終結から28年目の1972(昭和47)年1月にアメリカ合衆国領グアム島で地元の猟師に発見される。同年2月2日に満57歳で日本に帰還。軍事教育を受け育った横井さんは、「生きて本土へは戻らぬ決意」で出かけた記憶がしっかりとあったため、帰国の際、羽田空港で発した第一声は、「恥ずかしいけれど、帰って参りました」であった。この言葉をとらえた「恥ずかしながら帰って参りました」がその年の流行語となった。

 最後に、「亡くなった方は、今やった劇を天国で見ててもうれしいと思います。私も行ったら君たちのことは、後世の人が演ってくれて犬死にじゃないよと、天国で胸張って話してあげたいと思います。自信を持ってやってください。この(舞台の)通りだったから」と、涙ながらに語った。

劇団四季出身の望月龍平率いるカンパニー音楽劇「君よ生きて」開幕!シベリア抑留が題材

 【ストーリー】仕事も半年で辞め、恋人からも振られ、自転車であてのない旅をするトモキは、小樽から着いたフェリーで夜の舞鶴港に降り立った。そこへ、亡くなったはずの「シベリア抑留者」である曾祖父・善吉が現れ、トモキをシベリアへ時空を越えた旅へと誘われる。時は第二次大戦後、シベリアのラーゲリ(収容所)でトモキは善吉として、生きることになり・・・。

 【キャスト】青木結矢、伊東えり/岡田静(Wキャスト)、北村毅、小西のりゆき、武田優子、平川めぐみ/水野貴以(Wキャスト)、まきりか、溝渕俊介、武藤寛、ユウサミイ
 ※平川めぐみはヴァイオリンで全日出演

 【スケジュール】3月19日~3月24日まで、全10回公演

 【時間】2時間30分(10分休憩)

 【会場】サンモールスタジオ(新宿御苑前駅2番出口から徒歩2分)
 http://www.sun-mallstudio.com/access.htm
 TEL:03-5367-5622

 【チケット】(全席自由席・整理番号付)
 前売り 5500円
 当日券 6000円
 ※整理番号はチケットご購入順に振らせていただきます
 ※ステージシート(ステージ上での観劇席)各公演8席のみ(料金同額)

 下記URLよりご予約受付中
 http://oo-bj.com/reservation/

 音楽劇「君よ 生きて」Facebookページ
 https://www.facebook.com/kimiyoikite

 望月龍平シアターカンパニーブログ
 http://ameblo.jp/rm-company/

 望月龍平シアターカンパニー Facebook
 https://www.facebook.com/RyuheiMochizukiTheatreCompany

 

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僅かな食料を皆で等分するため小さな秤に乗せるシーン。
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劣悪な環境から栄養失調や流行病に罹ったシーン
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場所によっては、ロシア兵と交流があったラーゲリ(収容所)も
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舞鶴港で、引揚者に温茶や炊き出しでおもてなしするシーン


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白樺の皮で作った「白樺日記」の内容を読み上げるシーン
音楽劇「君よ生きて」のキーワード舞鶴港とシベリア抑留!実体験者の木内信夫氏「今日は泣かされた」
引揚船から善吉さんの姿を探す妻。「岸壁の母」のシーン
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ようやく日本の地が見えてきて喜ぶシーン
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旧ソ連軍が支給した帽子


音楽劇「君よ生きて」のキーワード舞鶴港とシベリア抑留!実体験者の木内信夫氏「今日は泣かされた」
防寒具
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デイバッグ
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(シベリア抑留者が実際に使用していた)軍靴
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水筒


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飯ごう
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飯ごうの表と中のフタに名前が書いてある
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手製で作ったスプーン
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自分の持ち物として「村上」と名前が彫ってある


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