【地図を見て読むNEWS】七差路は「日本一の譲り合いモデル交差点」だった

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 東京都大田区の南蒲田二丁目、萩中一丁目、東六郷一丁目、南六郷一丁目に接する七差路。いつしか「七辻(ななつじ)」と呼ばれ、「七辻入口」と記された交差点やバス停も近くにある。信号がないにもかかわらず「大きな事故の発生は一度か二度。余り聞かない」という。

 写真は七差路「七辻」の風景。あたりは住宅地に接近する商店街となり住民の生活に貢献する店舗も多い。

 このあたりは、昔「六郷村」といい、畔道(あぜみち)が通っており荷車が通れる道は1本だけだった。大正6年(1917年)に始まった耕地整理で、畔道の上に道路を整備し「七差路」になった。一本、道を間違えると、全く違った所に行ってしまうため、地元では「迷い道」とも言われていたという。

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七差路「七辻」。交差点に住所はないが隣接する商店の住所は東京都大田区東六郷1丁目16-10。

 交差点には「七辻の由来」と記された案内板が掲出されている。それには、「七辻の由来は、七本の道路が交差した地点という意味で名付けられたものである。大正6年から十年の歳月をかけて行われた耕地整理によって完成したもので、そのころは、荏原郡六郷村子之神と呼ばれ、人家もまばらで水田と桃・梨・ぶどうなどの果実を植えた畑が広がり、春には花見客でにぎわったという。昭和初期まで、農家の大八車が時折通るだけで七辻の道路も当時としては道幅が広すぎ、その両側には名もない草花が生い茂っていた。時代が移り変わり、多くの人が住むようになっても自然を愛しやさしさと思いやりのある心は受け継がれ、この地に事故はない」と記されている。

 「七辻」は七差路でありながらも信号がない。通過するほとんどの車や自転車はスピードを落として進入。歩行者もそれなりに注意をして横断する。車も人も事故を防ぐ意識を待って七差路を利用しているように感じられる。

 「七辻」は「日本一 ゆずり合いモデル交差点」。ゆずり合いにより人々が安全に利用できることを目指す七差路の交差点である。

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「七辻の由来」と記された案内板。立ち止まって読む人も多い。
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「日本一 ゆずり合いモデル交差点」のメッセージ
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隣接する交差点には「七辻入口」の表記
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