『人民日報海外版日本月刊』は、日本中国茶研究所所長 楊多傑氏のインタビュー記事を公開いたしました。
日本東方出版社による数カ月に及ぶ計画と準備を経て、ついに楊多傑氏の新著『雅なる中国茶詩~茶文化の詩情と魅力~』(原題『中国最美茶詩』)が上梓された。先日、東京でその出版祝賀会がおこなわれ、多士済々の雅なる集いは、華僑コミュニティにとっても嘉すべき文化的な夕べとなった。
この機会に、筆者は本誌編集部で楊多傑氏にインタビューをおこなった。それというのも、一人の歴史文献学者として海を越える文化という視座に立ち、小さな水滴が集まっていずれは大きな流れとなっていくように、茶文化の発掘と保存、継承と交錯について、それらを記録したいと考えたためである。
■心を守る:研究の道から茶文化の発掘と保護へ
北京の胡同で育った八十年代以降、楊多傑氏は文字どおり全精力を「中国茶」に捧げてきた。茶文化が衰えたと見ればそれを堅守し、勢いがあるときはいっそう身を入れて励んだ。いまもまだ狷介固陋であってしかるべき年齢であるが、対談に当たって思慮深く落ち着いた雰囲気をまとう楊多傑氏を前にすると、筆者はその名状しがたいほどの慎ましさに感じ入るほかなかった。
茶葉の栽培に関する最も古い記述は、西周時代にまで遡ることができる。そして唐代にはじまり宋代に発展した茶の湯の営みは、千年以上にも及ぶ歳月のあいだ途絶えることはなかった。ところが、近代になってからはさまざまな業種や趣味娯楽が生まれ、世の中はめまぐるしく変化した。それにつれて茶の湯の事も多くは時の流れに埋もれていったのである。歴代の茶に関する典籍を収集整理し、これを保存して後世に伝えることは焦眉の急であると言えよう。
『喫茶趣~中国名茶録~』『茶的味道~唐代茶詩新解~』『茶的精神~宋代茶詩新解~』『茶的品格~中国茶詩新解~』『跟着古人学品茶~中国最美茶詩~』『唐茶詩鈔』『茶経新解』『茶経新読』『中国名茶譜』『鳳凰単叢』(共著)……いずれの書籍も、その行間や紙背にまで染みわたる楊多傑氏の努力が実を結び、日の目を見たものである。
業界の大手から出版され、斯界の権威から推薦を得たこれらの著作は、そのすべてが高い評価を得ている。かように楊多傑氏は茶文化の研究を推し進めてきたわけであるが、そのスタートは首都師範大学歴史文献学専攻で修士の学位を修めたころにまで遡る。彼の研究テーマは茶に関する文献の整理と研究であったから、研究のリソースに恵まれていたことは言うに及ばず、論理的な思考という人文科学に必要な基礎を身につけ、茶文化学者としての確乎たる道を歩みはじめた。また、楊氏は現地に足を運ぶフィールドワークに積極的であっただけでなく、机に向かって根気強く実直に学問を修める点でも優れていた。こうした研究態度も、楊多傑氏が一般的な茶文化の専門家とは一線を画し、専門的な知識や経験をより多く物にするに至った要因であろう。
最新刊の『中国最美茶詩』を例に挙げてみよう。原書中で引用した詩句について、楊多傑氏は煩を厭わず幾度も種々のテキストを調査し、校勘して遺漏を補ったうえで、読者にその詩句の精華となる部分および全体の要諦を明白な言葉で示してくれる。また、古代の詩歌にまま見られる稀にしか使われない文字には丁寧に読み方がつけられており、そうした細やかな気配りからも、氏が文化の普及と知識の大衆化に意を注いでいることを見て取ることができる。そのため、日本語版を出版するに当たっては、そうした原著者の苦心と意気を尊重し、訳者は原著の精神を訳出すると同時に、工夫を凝らして訳の文体にも留意したという。
近年、楊多傑氏は、民間で散佚したり海外に流出した、茶文化に関わる善本古籍の収集と保護、整理に重点を置いている。巣作りに精を出す燕さながら、倦まず弛まず、ただ茶を愛する人と後学のために進んで労を執っているのである。そうした姿に天も心を打たれたのか、氏は日本に流出していた明代の問奇閣刊本『茶経』を手に入れる機会に恵まれたのである。さらにはこれを『多聊茶収蔵茶文献珍本叢刊 明刊問奇閣本茶経』として、中国書店から原寸大かつ色味も復元したうえで影印出版し、初刷りの1000部はあっという間に売り切れたという。氏の次なる一歩は、日本東方出版社と提携し、「日本中国茶研究所文庫」百冊シリーズの刊行である。
■灯火を伝える:多聊茶――文化としてのブランド
八年前、楊多傑氏は人気のある音声コンテンツプラットフォーム「himalaya(喜馬拉雅)」に、「多聊茶」という名称のチャンネルを立ち上げて連載を開始した。そこでは茶界の大御所や栽培の専門家らと対話を重ね、界隈で伝わる謬説を正し、確かな知識を広めることに努めている。また、日頃から愛好者を集めて茶に関する書籍や詩を読み、茶文化を学び、茶文化を研究する場ともしている。そうして、中国における茶文化の普及と伝承に全精力を傾けてきた。「多聊茶」の名称は、氏の名に含まれる「多」の字に由来するが、のちに楊氏はこの「多」の一字にさらなる意味を込めるようになった。すなわち、茶文化の普及に全力を尽くし、「多」くの善行を積んで利益を共有しようということである。そのため、楊氏のポッドキャストは毎回のように時間を延長し、時には二回分、三回分になることもあるという。
さらに楊氏は、中央電視台の番組「味道」の文化顧問を務めており、中央広播電視総台「幸福習茶課」、および中央人民広播電台「月喫越美」の常連ゲストでもあるが、テレビの外でもその反響は上々である。
文化の交流と伝承、それは立体的かつ双方向的であり、また現在進行形のものである。「多聊茶」は北京で茶事の教室を開き、中国茶文化体験の旅を提供してくれる。「多聊茶」が発信する動画リストは、のべ一千万回の再生という驚くべき記録を打ち立てた。
茶事は、決してうわべだけの形式的な行為ではない。かつて中国で生まれたその初めから、「茶の味は至って寒であるから、行いがすぐれて倹徳の人が飲むのにふさわしい」と言われている。冷めているときはそれを保ち、何かに熱くなっているときはいっそう冷徹であるよう努める必要がある。茶の湯の営み、それは五感の鍛錬でもある。否も応もなくせわしく生きざるをえない現代人が日々の生活のなかに何かを感じ取る、あるいは精神面でのゆとりや幸せを感じる、茶はその手助けをしてくれる。それを教え伝えることこそ、楊多傑氏が「多聊茶」を立ち上げた初志であり、また願いでもある。
昨今では、雨後の筍のごとく各種の茶が次々に現れている。この点について、楊多傑氏の考え方はきわめて開放的かつ楽観的である。「伝統的な茶文化にとって、それは衝突や矛盾を引き起こすものではなく、むしろ助けとなるものです」。風雅な趣や奥深さ、そうした茶の湯の営みがもつ伝統を、目新しさを求めた茶や何かをあれこれ加えた茶、ましてやペットボトルに入った茶などに求められるであろうか。しかし、楊氏は言う。2000年前後に生まれた人は、小さな頃からそうした各種の茶を飲める環境にあるので「幸せですし、幸運です」と。つまり、これはいわば目に見えない形での文化の浸透であり、彼らは自覚的に茶文化を愛し、茶文化を守り、そして茶文化を伝える人に育ってゆくのである。
■創新:日本での中国茶研究
この一年、楊多傑氏は頻繁に中国と日本を行き来し、日本中国茶研究所の設立に向けて準備を進めている。中日両国の茶文化の違いについて、氏は「下より上へ」と「上より下へ」という言葉でその要点を明らかにする。陸羽の『茶経』には「南方に嘉木有り」とあり、また顧炎武の『日知録』には、「秦人の巴蜀を取りてより後、始めて茗飲の事有り」とある。つまり、中国における茶文化の伝播の過程は、下から上へ、量から質へという急激な変化と捉えることができる。一方で日本の茶文化は、かつて中国に渡来した留学僧によってもたらされ、天皇や将軍に献上されてその価値が認められると、次には貴族文化を代表するものとなった。楊多傑氏は、「今日の日本における煎茶の器具とプロセスは、中国茶を表現するのにも全く適したものです」と指摘している。中国と日本の茶文化は、千年以上にわたりそれぞれ独自の進化と発展を遂げてきたはずだが、それでもなお根本的には似ている部分がある。
近代国家となってのち、日本の茶文化は貴顕の趣味から大衆の娯楽へと向かった。さらに都市の発展にともなって、形式の異なる様々なボトル入りの茶が大小の店舗や自動販売機で購入できるようになり、未曾有の普及を遂げるに至る。だが、興味深いことにペットボトル入りの日本の茶は、味に一家言ある中国の人々を満足させることはできず、多くの旅行客がこれは茶ではないと感じた。しかし楊多傑氏は、日本における茶飲料の普及と拡大を肯定的に評価している。というのも、たとえ凝った茶席で出る茶であろうと、冷えたお茶やペットボトル入りの茶であろうとも、一般の人々が好んで茶を飲み、それが習慣になってこそ、茶文化の発展が促進されるからである。中国でよく知られた茶に関する二つの慣用句――「柴米油塩醤酢茶」と「琴棋書画詩酒茶」は、中国においても茶は「雅」と「俗」という両者の境地をまたぐ存在として考えられていることを示していよう。
茶はよく人々の気持ちを喜ばせるもの、茶こそは人々にとっての恵みなのである。楊多傑氏が言うように、中国の茶文化はいわば原野から朝廷へと向かうものであったが、それは人々が生を営む大地の精華なのであるから、また人々の口に入るべきものなのである。ここで台湾を例に挙げよう。台湾はその恵まれた地理的条件のおかげで、小さな島でありながら、かつては全世界の茶葉の総生産量のうち十分の一を占めていたこともある。台湾茶葉の中興は1970年代に起こり、茶文化のブームが再燃してからは、しだいに内需から輸出へとその消費をシフトしていった。楊多傑氏に言わせれば、広い大地と豊かな物産を有する中国大陸には、数多くの唯一無二のすぐれたものがあり、銘茶もその一つであるという。2000年に修訂された『中国名茶志』の統計によると、中国で現在生産されている銘茶は1017種、茶を産出する省は20にも上る。中国茶の種類の豊かさ、品種の多さ、そして多彩な味わい、それらは疑いなく、異なるニーズを満たすための多様な選択を消費者に提供できるはずである。
最澄と栄西が茶の種子を日本に持ち帰ってより、中日両国間の茶文化における交流と相互作用が、いまも変わらず「頻繁」かつ「精彩」であり続けていることは、誠に特筆すべきことであろう。日本中国茶研究所が成立した暁には、より多くの中国の銘茶を日本社会に広めると同時に、日本の茶室、茶器、茶道などについても中国に紹介したい、それが楊多傑氏の願いである。「対話、それこそがインスピレーションを刺激するのです。客観的な視点を持たずに閉じこもっていては、その先に未来はありません」。
■後記
本稿を綴っていたところに、うれしい知らせが舞い込んできた。魯迅先生とゆかりのある内山書店(東京)と、中国書籍の取り扱いで有名な東方書店においても、『中国最美茶詩』の日本語版『雅なる中国茶詩~茶文化の詩情と魅力~』が売り出され、好評を博しているという。
茶の軽さたるや、風そよ吹けば空に舞い、形失うは一ひねり。茶の重さたるや、歴史を載せて文化を育む。遥かに続く道のりを、宿場の鐘を鳴らしつつ、東の海を漂い越えて、迷妄を断ち真理を悟る。葦の葉で、達磨は大江を渡り去り、著書を手に、楊多傑氏は日本へ渡りゆく。ともに文化を股にかけ、千年ののちに共鳴す。
ともあれ、中国歴代の茶に関する文献と中国の茶文化を伝え守るという、その道のりはまだ果てしなく遠い。しかし、楊多傑氏は言う。「一意専心で続ければ、必ずや響くところがあるはずです」。その執念と献身が実を結ぶことを、私は信じて疑わない。