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【島田紳助引退会見2】島田紳助、人を介したやりとりでセーフだと思っていた!認識が甘かった

20110823島田紳助引退会見
頭を下げ謝罪する島田紳助

 10秒間頭を下げた後、島田紳助が事情を説明した。

 「今日をもって芸能界を引退することにしました島田紳助です。芸能界を辞めるべきですから、守るべきものは何もないので、吉本興業にも正直にしゃべりましたし、今日も正直にしゃべろうと思っています。ただし、吉本興業からも、個人名を出すと、個人・プライバシーに関わることがたくさんあるのだから、ほかの方に迷惑がかかるような部分だけは、個人名を出したりしないようにと言われましたので、言える範囲の中ですべて、正直に話したいと思います

 まず、十数年前なんですけど、僕的に解決できないトラブルがありまして。自分自身、芸能界を去ろうと決意しました。そのときに、昔からの友人であるAさんなんですけど、Aさんとも数年に1回、会うペースだったのですが、Aさんが「どうしたんだ?」と、自宅に電話してくれた。Aさんに話したら、Aさんはやくざ組織のBさんにその話をして、クリアにしていただきまして、僕の悩みを解決していただいた。正直言いまして、人として恩を感じました。

 Bさんは、「お前は芸能界の人間である。我々は組織の人間である。その人間が会うことはいけないし、会うと君にはマイナスだ。だから、今後、君はテレビの世界で頑張ることが、一番の恩返しになるのだから、会わずに頑張ってくれ」という言葉をいただきまして、組織の人間ではなく、人として、ありがたい言葉だと思いました。「会うとマイナスだから、心と心がつながっていればいいんだ。人とはそういうものだ」と言われて、心に深く感謝した言葉でした。ですから、個人的に、その方と直接メールすることはなかった。

 ただ、人として感謝の気持ちがありました。テレビで頑張ってこれたのも、あのとき辞めなかったのも、あのおかげだというのが、ずっとありました。Aさんに、「ありがとうございました。今年も1年、無事終わりました。本当に心から感謝しています。くれぐれもよろしくお伝えください」と、Aさんにメールを送って、伝言をお願いしたことはあります。

 直接、付き合ってはいけないのは分かっていましたし、直接、電話することはなかったですが、Aさんを通じて伝言をしてもらってました。十数年間のお付き合いの中で、Bさんと会った回数は、自分の記憶の中では約4、5回だと思われます。

 最後にお会いしたのは、今から4年半前に、バーをオープンしました。そのとき、私はお寿司屋にいたんですけども、Bさんがバーに来られて、会員制で入れなかったので、僕の名前を出されて、バーの人間から僕に電話にかかってき他ので、すぐに行って、お越しになられて、お祝いなんでしょう、いいお酒を飲まれ、多めにお金を置いて行ってくれました。

 それまでに、大阪のミナミで食事をしている時に、すぐ近くにおられるのを聞いて、週刊誌を読んで(Bさんが)大変な時期なんだなぁと思いまして、僕もあのとき、元気をもらったので、個人的にお会いしに行って、顔見て、「元気そうですね」と言って、帰ったことはあります。そして、Aさんにメールをして、「今日顔を見ました。元気そうでホッとしました」というメールを送りました。

 僕が6年前に(吉本社員への暴行事件。現在も裁判中)トラブル起こしたときに、自宅謹慎して、食事もノドを通らず、自分はどうしたらいいか分からない時があった。先輩方からメールや電話をいただいたときも「ありがとうございます。あなたの励ましのお言葉で頑張れます。あなたがいてくれるから心強いです」と、芸能界の先輩と同じように、Aさんから「Bさんが、そうおっしゃってるよ」というメールをいただいたので、「ありがとうこざいます。お2人がついてくれているから、僕は心強いです」というメールを送り返しました。

 正直言って、僕の中では、十分、芸能人とそういう業界の方と付き合ってはいけないことはわかっていましたし、あちらの方も十分に理解されていましたから、絶対、普段会うようなことを求められなかったし、あってはいけないんだとおっしゃっていましたし、僕もあってはいけないと思っていました。ですから、Aさんを通じてメールを送ったり、なんかあった時にお言葉をいただいたりと言うことを繰り返しました。

20110823島田紳助引退会見
釈明する島田

 私のお店にもこられたことがあるらしいが、頻繁だとは思ってない。会ったのは、十数年で数回です。僕の中で、正直言いまして、悪いことをしてるとか、いけないんだという意識はなかったです。この付き合いは、芸能界のルールとして違反じゃないという認識でおりました。日曜日(8月21日)の夜まで。日曜日、24時間テレビが終わった後、吉本興業に来るように言われ、メールを見せられて「これを送りましたか?」と言われ、「送りました」と。

 その部分だけを抜粋してみると「お2人がいてくれると心強いです」と、送ってますけど、普段送ったらおかしいでしょうけど、6年前、へこんでいるときに皆さんに対して贈った言葉です。本当に十数年で偶然、意図的合わせても、お会いしたのは5回ぐらいですと、すべて正直に語りました。

 でも、「紳助君、業界のルールとして違反や、法的には触れないけど、モラルとしてやってはいけないことなんだ」と言われ、正直、自分の認識の甘さを知りました。僕なりに、そういう業界の方との付き合いは、大丈夫だと思っていました。少年時代にに友だちやった人が、そういう業界に行っても、「ごめんなさい。芸能界のルールで友達でも合うことができないんです」と、断ったこともあります。

 だから、自分の中でこれはセーフと思っていたのがアウトと説明された。僕が間違っていた。ルールをわかっていなかったんだと心から反省し、自ら日曜日の夜、「僕は責任を持って、引退します」と、会社にお伝えしました。さきほど、2時間前(午後7時ころ)に、吉本から引退を受け入れるというお返事をいただきました。

 なぜ引退かというと、僕も若い若いタレントじゃなく、吉本興業でも、相当ベテランになり、後輩が700人ぐらいいます。僕がいいかげんな処分を申し出たら、後輩に示しがつかない。若いヤツに普段から厳しいことを言っている僕が、あいまいなことではいかん。自分が一番厳しい「引退」という言葉を使えば、今後、若い人たちも過ちをおかさないんじゃないかと思い、決断しました。

 僕はここ数年間、わけのわからん記事をいっぱい書かれました。本当に悔しかったです。やくざを使って競売物件を買ってるとか、不法なカジノに出入りしてるとか、命をかけてもありません。僕がもし、本当にそんなことしてたら、みなさんの前で腹を切ります。週刊誌に書かれても我慢してきました。明日から一般人なので、うそを書かれたら告訴する気持ちでいます。明日からタレントでなく、普通の人に戻って静かに暮らしていきたい。

 弁解ではなく、僕のルールの考え方が間違っていました。本当に申し訳なく思っています。後輩たちには、二度と僕のような甘い考えで接しないでもらいたいと思います。以上、僕の状況と思いです。週刊誌にはいろいろ書かれましたけど、今しゃべったことが全て、事実です。必要以上の接触はないし、週刊誌にはしょっちゅう、電話をしたり、食事をしているように書かれましたけど、最後にお会いしたのは4年半前。それも20分ぐらいですよ。

 お店来られてすぐ、帰られました。それが最後にお会いした時のことです。4年半前から、6年前の残っているメールは事実です。でも、本当に、付き合いがないからAさんを介してメールしていたんです。付き合いがあれば、僕が人を介してメールする必要もないし、直接、電話をしたでしょうし、直接、連絡したでしょう。そのような関係を保っていましたから、僕の中ではセーフと思ってましたが、一昨日アウトと知り、引退することになりました。一番重い処罰を自分で与えましたので、お許し願いたいと思います。テレビ局関係者の方々、スポンサーの関係者の方々、そして、ほんの少しはいるでしょうファンのみなさん、そして、コマーシャルをやらせてもらった、ミウラ工業の奥さんやみなさんがたには、また。迷惑をかけてしまったのが、申し訳ない気持ちでいっぱい。自分勝手な引退となってしまいました。本当にすいませんでした。

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