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新藤兼人監督100歳で死去…2011年公開『一枚のハガキ』初日で「私が死んでも死なない」

新藤兼人監督100歳で死去…2011年公開『一枚のハガキ』初日で「私が死んでも死なない」
99歳での『一枚のハガキ』初日舞台あいさつに立った新藤兼人監督の言葉に出演者らは瞳を潤ませていた(11年8月6日撮影)

 日本映画界を牽引し続けた映画監督で脚本家の新藤兼人さんが29日午前9時24分、老衰のため都内自宅で死去した。100歳だった。

 新藤監督が設立し、会長を務めている『近代映画協会』関係者によると、新藤監督は今年に入ってから体力が急激に落ち、史上最年長で監督賞を受賞した2月の第54回ブルーリボン賞授賞式には車椅子で登壇。4月22日には100歳の誕生パーティーにも出席し、豊川悦司(50)や大竹しのぶ(54)らから祝福。その際に、「来年もまた一緒に映画がつくれたら」と、意欲を見せていた。しかし、今月29日朝には、赤坂の自宅で同居している孫で映画監督の新藤風さんが、監督の異変に気付き、医師に連絡したものの、その直後に新藤監督は、風さんに見守られ息を引き取ったという。

 31日付の東京中日スポーツ、スポーツ報知、サンケイスポーツ、スポーツニッポン、日刊スポーツ、デイリースポーツ各紙が報じている。新藤さんは広島県出身。1934年に22歳で京都の新興キネマに入社し、美術の仕事の傍ら脚本を担当。溝口健二監督に師事するも、1944年に召集され、戦後、本格的に脚本家として活動を始めることとなった。

 50年に独立して『近代映画協会』を設立すると、のちに妻となる故・乙羽信子さんが出演した自主制作映画『原爆の子』を撮影。『第五福竜丸』など新藤監督が生涯のテーマとしていた原爆を描いた。95年の『午後の遺言状』では、老いということを正面から見据えつつユーモラスに描き、ヒットさせ、日本アカデミー賞最優秀作品賞などを受賞。同作品には乙羽さんががんを押して出演し、その後、亡くなった。

 08年には自伝とも言える作品『石内尋常高等小学校 花は散れども』を発表。98歳でメガホンを取り99歳のときに公開となった遺作『一枚のハガキ』初日舞台あいさつ(11年8月)では、「私は今99歳です。98歳のときに撮りましたが、もうなんとなく終わりだと感じて1本作っておきたいというのがありました。テーマは戦争反対です。戦争みたいなバカバしいことをやるのかと訴えたかった」「何でも終わりがあるように、私にも終わりがまいりました。みなさんとお別れです。しかし、今まで作ってきた映画、それから映画に対する思いがありますから、新藤はこんな映画を作ったんだということを、時々思い出してください。私は死んでしまいますけど、これだけが望みです。何を作ったか、何という映画を作ったか、これは私だけが作ったのではなくて、みなさんと一緒に力を合わせて作ったんだというふうに思い出してください。そうすれば私が死んでも死なない。だからいつまでも生きて、私が作った映画だと、映画を作ったばかりのように思い出していただけるということを望みに死にたいと思います。どうぞよろしくお願いします」とスピーチし、ともに登壇していた豊川、大竹らは瞳を潤ませながら話を聞いていた。

 この悲報は、映画界のさまざまな人に衝撃を与え、山田洋次監督(80)は、「僕自身が仰ぎ見るような先輩がいなくなるのは本当に寂しくて、つらいこと」と声を落とすと、「シナリオの打ち合わせなどでも、技術者のような態度に驚いたことがある。あんなにたくさんの脚本を書いて、それが全部水準以上の力を持っていた。新藤さん以外の人にはなかなかできない」「(独立プロ系として)財政的に製作上のつらい苦しい思いをたくさんしているはず。えらい監督ですね」と、悼んだ。

 柄本も、『石内尋常高等小学校 花は散れども』を撮影した時を思い出し、「『まだ日があるじゃないか』って撮りたがるんです。撮影に入るとお若くなるんですよね。できれば、もう1本撮っていただきたかった。103歳の世界最高齢監督マノエル・ド・オリベイラ監督を超えて欲しかったですが、大往生だと思います」。

 遺作となった『一枚のハガキ』を主演した俳優・豊川も、「さまじくも美しき100年、その魂に少しだけ触れさせていただけたことに感謝しています。大いなる映画の巨人でした。ゆっくりお休みになられてください。ありがとうございました」と、お悔やみ。

 4月の100歳の誕生会にも出席するなど、新藤監督の作品に4作出演した大竹は、「私の中で大きな何かが、ひとつ終わりました。寂しく、悲しいです」と語り、「監督と会えたこと、映画を作ったこと、お話ししたあの豊かな時間。私の宝物です」。

 葬儀は6月2日午後6時から、葬儀告別式は3日午前11時30分から、いずれも東京・芝公園の増上寺で。次男で近代映画協会社長の新藤次郎(しんどう・じろう)氏を喪主に営まれる。

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