NO IMAGE

中居正広 父・正志さん亡くなる1ヶ月間を語る…「いいお父さんだった」

 父・正志さん(享年79)が今年2月19日に亡くなっていたことを告白した人気アイドルグループ『SMAP』中居正広(42)が、正志さんとの最期の日々などを16日放送のパーソナリティーを務めるラジオ番組『中居正広のSome girl’ SMAP』(ニッポン放送、土曜・午後11時~)で語った。

 9日放送の同番組で正志さんが亡くなっていたことを伝えた中居。この日は、亡くなるまでの1ヶ月間とその後のことを話した。

 「まさに闘病生活、介護生活ってこういうものかなと。8月に3ヶ月入院して、その後、入退院しているパパ見てたらね、本当に申し訳ないけど生き地獄だね。ずっと痛いんだって。ずっと苦しいんだって。ずっとそのメールがさ、去年の3ヶ月の入退院してから、携帯を開けただけで、起きたよというメールが送れるようになって。それで、『きょうの苦しみはダメだ、ホスピスを頼んでくれ』とかいろんなのが来て、こっちも気持ちが沈むんだよね。でも沈んでる場合じゃない。親父の方がもっと苦しい思いをしているわけだから、こんなことに耐えられねぇと言ってる場合じゃないなと」

 「亡くなる10日ぐらい前かな。藤沢に行こうと。僕の生まれ育ったところ。藤沢行って鵠沼とか行こうと。これはうちの会社にもすごく助けてもらいまして。『広ちゃんそろそろドライブでも2人でしたいな』ってメールが来てて、俺、その日は無理だったから、『おお!いいね、コース考えておいてよ』って言ったら、『きょうじゃないと俺行けないような気がするなぁ』って。うちの会社のワンボックス2台で、パパ用で、包まれすぎて暑いんじゃないかというくらい。もう1月中旬くらいからずっと車イスだった。小さいころのアルバムを持って行って、野球やったとか、素振りしたりとか、写真と照らし合わせながら立って。外出許可証で5時間しかもたないと言われてて、呼吸が持たなくなるんでと言われてて。生まれ育ったところ行って、それがまあちょっと楽しかったかな。お父さんも楽しかったんじゃないかなぁ、あれ。その後、『ギブだ』って言って、病院戻してくれって。そのとき初めて病院戻してくれって聞いたのかな。相当苦しかったのかなって」

 「亡くなる5日前かな。何しようって言って、お父さんのうちに帰る計画を立てて。それが最後だったのかな。東京の友達とか地元の友達とか10人くらい来てくれた。カレー食べたいって言って、それでも最後ね、何日か前から何も食べてなくて、でも3口くらい食ったのかな。うまいか?って聞いたら『うまい!』って言って。たぶん、味は分かってなかったね。味覚がなかったから。俺が作ったことで食わざるおえなくて無理して食ってくれたんだろうなって。それが最後だったね。最後が俺のカレーだったかな」

 「亡くなるときは体重も20キロ台で骨でしたね。亡くなる前の3、4日は目をさますことはなかったね。亡くなる1ヶ月前に僕の番組の特番で『中居正弘の僕はこう死にたい』というのがあった。なかなか、これ厳しいなぁタイムリーだなって。でも俺、仕事モードになれば大丈夫だって思いながら。結局オンエアは見れなかったのかな。2月19日に亡くなり次の日がお通夜だったんですけど、友引で1日ずれて21日がお通夜で22日がお葬式、4月8日が四十九日だった。2月19日が甥っ子、一番上の兄ちゃんの子供の誕生日だったんですよ。22日が姪っ子の誕生日だったんですよ。お通夜の日がその『中居正弘の僕はこう死にたい』のオンエアの日だった。お通夜終わってからみんなで見るのよ。俺見れなくてさぁ。4月8日が2番目の兄ちゃんの子供の誕生日でさ。こんなに重なることがあるのかなぁって。その後、遺産相続とかあるから、戸籍が必要だから。よく見たらさ、うちのお父さんとお母さんの結婚記念日がお通夜の日の2月21日だった。こんなことあるかなって。いろんなこと忘れるわけないよね。こんなに数字そろっちゃったら。それだけお父さんは素晴らしい人生を送ってきたから、忘れられないようにと神様が与えてくれたんじゃないかなって」

 「亡くなってからも週に2、3回くらい(お父さんの)部屋に行って。ゴミ袋で30くらいあった。うちの親父は手ごわいですね。やっぱり夢見るのよ。何回も見たんだけど、『生きてんじゃん』っていう夢を見てる。これ起きた時のショックっていうのが、なんだよ生きてるのかよって遊ぶ夢なんだよね。目が覚めた時にずっと訳がわからない。起きた時が夢かなと思っちゃう。そうそう、死んでるんだって。2月から3月特番シーズンだったけど、このお父さんはなかなか手ごわかったですよね。でも、いいお父さんだったよ。最期、お棺に手紙を書いて、思いをいっぱい書いて焼いてもらったかな」

 そして中居は、「だいぶ落ち着いたということで、このような時期にお伝えすることになったんですけど」と現在の心境を話し、「あっちの世界でも元気でやっているんじゃないのかなと思います」と、コメントしていた。

広告